東京は前夜に台風に見舞われましたが、当日は見事に晴れて無事に開催することができました。キャンセル待ちも多数出ていましたが、大変申し訳ないながら、いつもの場を安定して無事にやりきることが皆さまへの最大の貢献と考え、あえて定員は増やしませんでした。ご理解いただき、ありがとうございました。ご予定いただいていた皆さまには全員なんとかご参加いただくことができ、本当によかったです。
いつものように輪になって自己紹介をするところからはじめ、散らし取り、個人戦、間に休憩を挟んでチーム戦をしました。
初参加の方もお一人いらっしゃいましたがすぐに場に馴染んでくださり、常連メンバーもいつも以上に盛り上がっていました。皆さん一人ひとりが心から楽しんでくださっているのが伝わってきて、ほんとうによかったと思います。
最後に少し時間をいただいて、「かるたCafeに参加してきての今の思い」をお一人ずつ言葉にして、場に置いていっていただきました。
それらを録音などして残そうかと一瞬思ったのですが、この場のあり方に相応しくないと思い、やめました。
その場に生まれた声を、音をただ無心に聴く。わたしたちはそういうことをしてきたのだったと。
場に置いていき、やがて花びらが風に吹かれるように自然と散っていく様が、よいのだろうと思いました。
かるたCafeが様々に形態や内容を変えながら一貫して伝えてきたのは、「子どもの頃に夢中になった百人一首をもう一度やってみませんか?」という呼びかけ。
夢中になる楽しさとは、ある程度面倒くさいことにも取り組む努力とセットだったり、ものすごく真剣にやってヘトヘトに疲れるぐらいの中から湧いてくるものではないか。
大人が社会的な立場や役割から離れた場のフラットな関係の中で、夢中になる時間が必要なのではないか。
でもなんでもいいわけではなく、かるたCafeでわたしたちが共有していたいのは「百人一首でなければ得られないあの喜び」なのではないか。
そのような仮説の下、毎回を重ねてきたわけですが、声をきかせてくださった皆さまからの呼応があったと感じました。
お茶の間かるたと競技かるた会のあいだの曖昧な場。競技かるたをやってもいいしやらなくてもいい。試してみたいことや目指すものは人それぞれ、そういう不思議な場だったなぁと思います。
みんな本当は内の深いところに大切に持っていて、忘れているだけ、思い出せないだけ。ふとしたきっけかで思い出せれば、また夢中になれる...。
いろんなしんどさのある人生ですが、どんな困難に見舞われたときにも、かつてのあの場のあの時間の中では、自由で夢中であった自分を思い出して、半歩でも進めるような、何かひとつの小さな灯となれたらと願います。
運営の二人はこれからもかるたを続けていきますので、かるたの場でも、別の思いがけないテーマの場でも、偶然まちかどででも、またどこかでお会いできたらうれしいです。
2012年1月からの5年9ヶ月、ほんとうに長らくのお付き合い、応援、ご協力ありがとうございました。
心からの感謝を込めて。
かるたCafe
舟之川聖子・渋谷知久子